童話をアレンジしてたら泣けてきた。

 前にも記したが、小生の娘は今年小学生になるおチビさんだ。子供はお話好きで、適当に
お話を自作している。当然のことながら、たとえば「花咲じいさん」のようなスタンダード
はとっくに飽きて、もはや聞く耳をもたない。それで、その話をベースに別の角度から見た
お話を作る。この話は正直者の「花咲じいさん」を主人公に正直にまじめにやってれば
最後にはお殿様にご褒美をもらえる。ということがテーマになっている。まじめにお祈り
すれば、天国にいけるという宗教感にも通ずる。この年になってこの本を読んだときに
あまりにも残酷で理不尽なことが多く、ご褒美をもらえるなどと単純に完結させてしまう
のは納得がいかない。
 正直なお爺さんは、大切な犬をいとも簡単に悪いお爺さんに貸してしまう。この悪い
お爺さんに貸したら、もしかしたら犬は殺されるかもしれない。そうは思わなかったのか。
 つまりこのお爺さんは正直だから、人から求められればなんでも貸してしまうのだ。
 いくら人が良くても絶対に大切に守らなければならないものがあるのだと、我が娘には
教えたい。この正直爺さんは、自分の妻であるお婆さんを求められれば貸すのですかと
聴いてみたいものだ。たぶん貸してしまうのだろう。

 しかし、この話は昔話ではない。現代でも日常にある話なのだ。

 小生が小学生くらいの頃、お袋はよくこんな話をしていた。

 ウチのお父さんは人が良すぎてどうしようもない。
知人に頼まれて借金の保証人をいとも簡単に引き受けてしまった。お母さんが
あれほど泣いて騒いで、ハンコは押さないでくれとお願いしたにも関わらず、「八百屋の
娘に何が分かる」と毒付き、母のお願いに聞く耳を持たずに押してしまった。案の定、その
後には、借金はコケて、父のもとに債権者がやってくる。元々貧しかったのに、益々貧しく
なる。母は子供を連れて死のうとまで思ったようだ。しかしながら楽天的な母であったが
ゆえに、小生はいま生きている。こんな話は昭和20−30年台にはどこにでもある話かも
しれない。昔はみんな貧しかった。人の良すぎる「花咲じいさん」は大切な犬を殺され
大切な臼を壊されて、燃やされてしまう。「お父さんはバカでバカでしょうがない。」
 あの時のお袋の声がよみがえり、泣けてきた。