「脱原発」というお題目

 さていよいよ衆院選が始まる。ずいぶん沢山の党ができたが、ここで「脱(卒)原発」というお題目を唱えて
いる党を小生ほとんど信じません。「脱原発」といえば、耳に心地よく、票をもらえるような錯覚に陥って
ないだろうか。この3文字は小生からすればいかにも軽い。発電所の職員に「明日から、休業ですから。
長い間ご苦労様でした。」といって、事務所の照明を切ってみんなが帰宅するような雰囲気に感じられる。
 その程度、つまり言い換えればあの時の「少なくとも県外」といったあの軽さを思い出してほしい。

 原発の終わらせ方は技術的にも大変なことだということが理解できていない。炉心に残された放射性廃棄物
をどのように最終処分していくのか、そのテクノロジーの研究開発にお金をかける必要があり、もし、うま
い技術が開発されたなら、たぶん日本は世界に尊敬される国になるのは間違いない。単純に「廃炉」という
言葉がどんなにたいへんで重いことであるのか、原子力の門外漢の小生にだって分かる。

 ましてや失礼かもしれないが文系の女性立候補者が声を張り上げ「脱原発」と叫べば叫ぶほど、「こいつ
意味分かってんのか?」という説明のつかない憤りのようなものが小生の胸に渦巻くのだ。