中国の民主活動家 劉暁波氏死去 民主化への道は果てしなく遠い

 中国の民主化を訴え、ノーベル平和賞を受賞したもののその願いはかなわず、病に倒れてしまった。
ひたすら中国共産主義と闘ってきた人生ではあったが、いささかの民主化も達成されず、奇妙な資本
主義が導入され、儲けること大好きという国民性にすっかり溶け込んだ。共産主義の悪いところと、
資本主義の悪いところを両方そろえた巨大国家は誰にも止めることのできない氷河のように、地球を削り
こんでいるようである。

 中国を日本のような国家と比較することはできない。広すぎる国は、地方により言葉も民族も宗教も
違う、根本的にこれを一つの国家と呼べる状態であろうか。北京と周囲の植民地となっている状態では
ないか、朝鮮の両班と賤民のように共産党員とそうでない人たちのように完全に階級ができているでは
ないか、みんな平等のはずの共産主義がどうしたのだろう。民族的には国家というものをほぼ信用せず
身内、家族の利益を第一と考える国民性から、仮に劉氏の望む民主主義になったとしても本当に平和な
国になるのかはなはだ疑問である。無理やり民主化させようとした中東の国々をみれば分かるように結
局「is」なる変な連中がはびこってしまった。当時独裁者フセインを倒せば平和な民主主義国家が生
まれるという希望で、ありもしない大量破壊兵器があるというウソ情報を(おそらく知ってて)でっち
あげて、イラクを攻撃してしまった。フセインはイスラムの国ではありえない女性の医師を認めるなど
かなり画期的な政策を行っていた。フセインを倒したので、原理主義方向へ逆戻りしてしまったようだ。

 さて、話がそれたが中国はとにかく問題が多すぎる。一人っ子政策のため、意図せず生まれてしまっ
た2人目以降の子供たちが戸籍にのらない人間として、数千万人くらいいるという説もある。当然正式
に企業に就職できないし、場合によっては教育も受けられないかもしれない。こうした人たちが、犯
罪者の供給源になっていないだろうか?今でこそ強力な公安という警察権力がガチガチに管理してる
のである程度の秩序はたもたれているが、これが民主化してて、ゆるくなったらどうなることやら。

 民主化を考える前に、国家を分割すべきではないだろうか。4つか5つくらいに分割し、ウイグル、
モンゴルは完全に民族も文化も違うので独立させるべきである。しかし今の共産党はそれは絶対飲める
話ではない。日本や米国が色々口で言ったところで聞くものではない。極論を言えば、一度完全に
ぶっ壊してからでないと、話ができない。誰がぶっ壊すのか?誰にもできない。なぜならば、あの小さ
な北朝鮮一つ破壊できずに何十年もたっているのだ。中国なら自壊する以外に壊れる方法は無い。

 一方、こういう考え方もある。民主化が正しいのか?ということである。国や民族文化によって、必ず
しも民主化がなじまない民族もあるかもしれない。全く自由にさせ、物を考えない大衆のポピュリズムが
マスコミなどの意図を持った報道の流れにしたがい国があちこちにフラフラとさまよう南と、厳しい独
裁により自分で考えることを放棄させられ、流れに身を置けば、生きるのは比較的楽であるという北の
国もある。脱北者は南に来ても何をしたらいいのか分からず、むしろ北の方が楽だったという証言もあっ
たりする。いずれも自分で考えることを放棄した点では一致する。この場合は民主主義はなじまないの
かもしれない。巨大中国は民主化という文化になじむのであろうか?

 我々日本としては、外から付かず離れず距離感を置いた関係、つまりあまり関らないのがベストな
選択かもしれない。

 素人の猫でさえ、この程度のことは言えるのに、いつまでも学園天国の日本はどうなんでしょうか?
 テレビ会社は、大衆はとっくに学園天国に飽きちゃって、チャンネル変えてることに気付くべきであろう。