僕の付き合ってきたJBL その1

 サギ師の男が言った。「ここに缶ビールがあるとす
る。君たちはこれをどうやって飲む?」青年は少し考
えた後、「普通にプシュッと開けて、そのまま飲みま
す。」すると「だからダメなんだ、缶ビールを開け
たら まずグラスにそそいで、そのグラスで飲むのが
いいんだ。」聞いてみれば確かにその通りだ。缶ビー
ルの変な穴から出てくる液体を唇にアルミ金属を感じ
ながら飲むよりは、グラスに注がれた泡を含めて、鼻
から香りも一緒に吸い込みながら飲む方が美味いこと
は酒を飲まない小生でも分かる。

 喫茶店を始めた友人がいた。当時は外資系のコーヒ
ーショップの増え始めていたころだった。「ああいう
店とどこが違うの?」彼は言った。「ああいうところ
は紙コップだよ。うちはちゃんとしたコーピーカップ
で飲んでもらう。テーブルもソファもちょっといい。」

 今コンビニではレギュラーコーヒーが100円で飲め
る時代、紙コップである。手に取ったときの「ヘニャ
ッ」とした頼りない柔らかさ、指に伝わる露骨な温度、
唇を触れたときの「カサッ」とした、なんともいえな
い安っぽさ、ここが戦場ならやむをえないが、ゆっく
りとコーヒーを楽しむという雰囲気ではない。

 猫社長が聞く、「ここにマル・ウォルドロンの名盤
(レフト・アローン)のCDがある。君はどうやって聴
く?」 「普通にノートパソコンのDVDドライブに入
れてメディアプレーヤで再生して聴きます。」
「だからダメなんだ!マルが天国で泣いてる。」


1959年の古い録音にもかかわらず、ピアノ、サックスの鮮やかすぎる音。
亡きビリーホリディへの悲しみが一音一音に込められている。