オレの居る場所、こんなところじゃねぇ!

 行き場所を自分で選ぶ男がいる。その人は仕
事を引退し、自ら老人介護施設に行くという。
いわゆる老人ホームだが、人様の世話になるほ
ど弱ってはいない。自分のことは自分でできる
全くの普通の人だ。何年か前に妻に先立たれ、
一人きりの戸建てに住んでるよりは、ここは食
事も出るし、ドクターもいるし結構快適なんだ
と語る。こうした老人ホームも入居者のレベル
で色々あるのだろう。介護レベルで、比較的軽
いところから、それこそ24時間介護が必要な
ケースもあるだろう。
 
 とっくに亡くなってしまったが、小生の母も
最後はそういう施設に入れられた。認知症が
すすみ、言葉をしゃべらなくなってきた。
 面倒を見ていた我が兄、つまり長男夫婦はお
世話の限界を感じたのだろう、そうした施設に
頼らざるをえないことになったのだ。これを冷
たいとか、○○捨て山とか言うのは諸般の事情
を鑑みれば、簡単に判断やら評価などはできな
いのではなかろうか。かなりボケが進んだ状態
では自分で自分の居場所を選べない。

 さて、こうした施設では、手芸やら、工作や
らあるいは、昭和の歌を歌ったり、さらには近
隣の幼稚園や、小学校の子どもたちがコーラス
に来たりと、ほどよいリクレーションで飽きさ
せないサポートがあったりする。実はここから
本題に入る。

 仮に、現役時代に功なり名を上げた男がどう
にも体が思うようにいうことをきかなくなった
場合、娘だか、せがれの嫁だかに手を引かれこ
うした施設に連れてこられ、居住者たちが大テ
ーブルを囲んで楽しくオリガミを折っている様
子を見る。「ほら、おじいちゃん。ここなら楽
しそうでしょ。暖かいし、看護師さんも常勤し
てるから、安心だよ。」などと声をかけるのだ
が・・

 自分の体が思うように動かないのは知りつつ
も「何が面白くて、オリガミなぞやってるんや。」
 しかも、みんなあの世に片足突っ込んだジジ
ババじゃねーか。美人看護師でもいればいいが
・・・ 車イスを押している看護師さんをチラ
見した後、うーむ あれかぁ・・

 自分だって完全に老人なのに頭の中は中学二
年生まま、ほとんどの男はそうであろう。

 ここはオレの居場所じゃねぇ・・
 頭がボケてなければ、とうてい納得できない
という結論を導いてることだろう。

 こういう食えない男 楽しくサークルに仲間
入りできるのだろうか?


 ここでは、極端な例を出したが、人生の中で
学校、大学、サークル、会社、など組織の中に
あるいは家庭の中に、うまく快適にしっくりと
馴染めた場合は幸せである。どうも「違う」と
いう違和感で会社を転々と変わる人もいるだろ
う。
 夫婦間でも「どうも違う」「こんなではなか
った」で離婚、結婚を繰り返す人たちも少なく
ない。

 人は百点満点の居場所にたどり着くことはで
きないかもしれないが、まあそこそこの納得で
きる自分の居場所を見つける事ができれば、幸
せと考えてもいいだろう。

 猫は狭い段ボールの中に好んで入る事がある。
体をねじ曲げて箱の中に納める。そこで全身の
力を抜いてリラックスする。しかし、体は箱の
形に収まっているのでくずれない。猫流のリラ
ックス方法である。飽きたら、出てきて大きく
のびをして、今度は床に大の字で伸びきる。
 どっちもできる。これが自由である。仮に施
設に入ったら、人の迷惑考えればあまり自由に
はできないのだろう。

 自分の居場所を探し求める旅が人生かもし
れない。

 どうかいい場所が見つかりますように。